-少し詳細に自分のことをお伝えしたいと思います(長文、ご容赦願います)-
<〜学生時まで>
私は、自営業の父とそれを支える母の一家に、男兄弟の末っ子として生まれ育ちました。幼少の頃から家でも寡黙な子でしたので、両親や兄たちから将来を少し心配されるような子だったようです。
私が学校を休んでも近くの友達が(休んだことにも気づかず)家に遊びに来るぐらい、学校でも寡黙で存在感のない子でした。それでも先生の話をよく聴いていればいいのですが、自分の空想世界を教科書に1日中落書きをしているような毎日でした。
当然、成績は学級でも最下位に近く、テストの空欄に”聞いたことがある単語”をでたらめに書くような状態でした(笑)。学年が進むと、少し興味が湧く科目も出来て少しずつ成績も上がっていき、学区内で中位くらいの公立高校に進学致しました。
私の父は自分で会社を経営しており、一時は支店を幾つも展開する時期があったようですが、私が高校を卒業する頃は経済的に余裕がない状態でした。幸運と偶然が重なり、たまたま学費が安く自宅から通える大学に合格できましたので、アルバイトで学費、通学費、昼食代などが賄え、卒業まで親に負担をかけずに済みました。
大学は工学部に入学しましたが、文学や哲学に興味を持ち、哲学書を持参して授業に出席するような変な学生でした。大学4年になって就職先を考える頃に母が大病を患った為自宅近くの企業の面接を受けさっさと就職先を決めたのですが、家族や大学の先生の反対に合い、最終的に自宅から遠い企業に就職することになりました。
<社会人_以降>
社会人は、ある会社の”製品開発部署”からのスタートでした。業界の重鎮の方々と折衝する機会が多いので、新入社員としてはストレスの溜まる部署でしたが、上司や先輩に恵まれてしっかり支えて頂きました。本当に助かりました。
製品開発部署である程度経験を積ませて頂いたので、未だ若かった私は勉強のため他部署への異動を上司に相談し、”海外の貿易実務”を担当させて頂きました。英語が出来ない身としては毎日苦労の連続でしたが、同僚やアドバイザーの方々に助けられ、大きなトラブルも無くなんとか勤めることが出来ました。
その後、ご縁があって”全社の経営業務担当部署”に異動になりました。事業部の経営計画や中長期計画など策定するのですが、技術系の身でいきなり管理会計を進めることは難しく、事業部の方々はじめ先輩や同僚に本当に助けて頂きました。今でも感謝しています。
その後、本社・事業スタッフを永らく担当していたのですが、事業部の開発部署や生産部署を横断的にみる”技術センター”を発足させることになり、そのスタッフとして異動することになりました。新しい組織の立ち上げの為、組織のルールづくりや活動方針などセンター長と常に議論して策定する毎日でした。このセンター長からは、東洋思想など人生哲学までご指導頂きました。今でも、私の師匠の1人です。
このセンター長が別会社の社長として栄転し、後任のセンター長になってから”日本が全国的な不況”になり、多くの企業が社員のリストラを進める状況となりました。我が社もリストラを進めることになり、この頃は私にとって精神的に苦しい時期となりました。振り返ると、この頃の私は自宅で家族に随分迷惑をかけていたと思いますが、そんな私を家族は何も言わずに見守っていてくれました。本当に、心から感謝しています。(”1.このブログについて”_参照)
その後、以前のセンター長が社長をする会社の”製品_技術スタッフ”として異動しました。製品技術支援、製品改良や製品クレーム対応など幅広い業務を担当していたので、この頃の私は特に多忙でした。対応如何では事業に対する影響が大きく責任も重かったのですが、他部署も含め優秀な仲間に支えて頂き、それなりに会社に貢献できたと感じています。本当に仲間に恵まれて幸運でした。
会社の経営体制が変わり、新規事業の創出プロジェクトが発足しました。ある新規事業の企画検討を私がすることになり、事業企画の精度を高めたり、外部協力者のネットワーク構築を進めるなど、ある程度順調に進んでおりました。しかし、経営陣の間で”本事業のビジネスモデル”に対する考えの相違などから、社内の協力体制に苦慮するようになり、最終的にプロジェクトを解散することになりました。私の実力不足が残念な結果を招いた要因だと考えておりますが、私にとってはとてもいい勉強の機会となりました。
その後、私はフィールドを変えることを希望し、大学や企業の研究開発を支援する団体に移りました。最先端の研究技術を実用化するため開発を進めるのですが、とても優秀な学術研究者やスタッフの協力を頂けたことで 着実に製品化を図ることができ、それなりに大学や企業のお役に立てたと考えています。人間的にも尊敬できる方々と一緒に仕事が出来たことが、財産となっています。
今まで、家族や友人、同僚、先輩ほか多くの方々に支えて頂き、とても幸せで充実した人生を送らせて頂きました。そのご恩返しの想いもあり、
①人を大切にするいい会社のことを多くの方々に知って頂き、
②そういう会社が増え、ともに働く人が増えることで、
③多くの方が安定して豊かな生活を送ることにつながればいいなと思い、今後「”人を大切にする会社”を増やす支援活動と、”人を大切にする会社”と人・企業のご縁をつなぐ活動」をしていきたいと考えています。